第4回
アトリエの窓から
2024/7/18UP
引越しをした。去年の3月31日だ。もう一年を過ぎた。引越をしたので蔵書を整理していた。すると小泉淳作さんの「アトリエの窓から」(講談社刊)を見つけた。小泉さんの手書きで“青山益朗さんへ”とある。この名前は酉福ギャラリー時代の通名だが、小泉さんから送られた書なのだった。
小泉さんは亡くなってからもう12年ほどになろうか。懐かしく思い出された画家の一人だ。で、読もうとページをめくると懐かし小泉さんの代表作のいくつかがグラビアとして掲載されていた。目次を読むと、「中川一政先生のこと」という題字が目に入った。
中川先生はおなくなりになってから30年は過ぎただろうか。私がまだPHPの仕事に携わっていたころだ。そのPHPの雑誌を一つに「PHPインターナショナル」というものがあったが、そこに中国美術を紹介するページがあり、ある時中川先生に声をかけ先生のお供をし、三重県鈴鹿市の水沢にあった澄懐堂の所蔵品を見に行ったのだった。真鶴駅で中川先生と落ち合い、名古屋駅で四日市線に乗り換え桑名にあった「船津屋」に一泊した。というのもそこは泉鏡花の小説にも出てくる有名な船宿で、蛤鍋や焼き蛤で有名?で一度行ってみたかったのだ。
ともかく中川先生とその船宿で一泊し翌日澄懐堂へご案内した。ここは中国の宋、元、明、清の書と画を集めたもので四日市の故猪熊信行さんのコレクションだ。中川先生にコレクションをゆっくりと見ていただきお昼を皆で頂き真鶴までお送りしたということだった。が、小泉先生が中川先生と親しくされていたことを全く知らなかったというのがこの文の肝だ。小泉先生とは六本木のフグ家にそれこそ何度となくご一緒し楽しい時間を過ごしたのだが、中川一政さんのことを話したことはなかった。
アトリエの窓から 著:小泉淳作
講談社 1998年 状態:AA 良好
*本書をご所望の方はお問い合わせください。
それに加え、この本の“あとがき”を読むと、「辻邦生」さんのことが書き記してあった。なんと小泉さんは辻さんとも交誼があったとは。何を隠そう学生時代にフランス文学の研究者を目指さんと勉学に明け暮れた日々の恩師が辻さんであった。その私が小泉さんと一度も辻さんのことを話さなかったとは。辻さんも亡くなってから30年をすぎているだろうか。懐かしく当時のことが思い出される。
と、最期に本の奥付けを見ると装丁「大道正男」とあるではないか。これにはびっくりした。大道さんは奈良の人だ。故竹田博志の紹介だった。小泉淳作さんとの縁を結んでくれたのも竹田博志だ。彼のことは「ガリア戦記」で書こうとおもうが、彼が早稲田大学の学生だったころからの親友で一緒にラテン語の勉強をした仲だった。フグ友だった。ともかく彼の取り持つ縁で小泉さんと知り合えた。
そういえば、小泉さんの本の記念会があり、私も出席をした。その会のなかで私の顔をじっと食い入るように見る老人がいた。「保っちゃん?」と私の幼いころの名前を呼ぶではないか。「佐々木だよ」と。え、え?!
子供のころ永田町に住んでいたが、同じ町内で小学校の友達で佐々木勉という人がいたが、その幼馴染の腹違いのお兄さんだった。何十年振りか。
聞けば小泉先生の美術学校時代の同級生とか。
縁とは不思議なものだ、と思う。
青山光雅 AOYAMA Mitsumasa
京都伏見出身。立教大学院修士課程フランス文学専攻(シャトー・ブリアン)修了。酉福ギャラリー創業
中学生の頃よりお茶(官休庵)・お花の稽古を始め、他に、書・料理・俳句・作陶に親しむ。『南青山ギャラリー物語』『祇園ものがたり』『睦美十選』『美のなごり』などを出版プロデュース。