Art history 美術史、Art theory 芸術理論 美術理論

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書籍:美術をめぐる思想と評論 機関13 松澤宥特集
編集: 機関編集委員会 発行:ユーコピア 発行日:1982年
サイズ: 25.8 x 18.3 x 0.5cm 頁:P.94 状態:B 背やぶれ、他は良好。「この一枚の白き和紙の中に白き円を観じそをあわれ死に臨める白鳥としてここに白鳥の歌を聞けよ」貼付
価格:¥15,000 (税込)

松澤宥。コンセプチャル・アート、概念芸術あるいは観念芸術の領域とされるアーティスト。
33歳のとき、フルブライト交換教授としてウィスコンシン州立大学から招聘され、翌年はコロンビア大学大学院に席をおいて現代美術と宗教哲学を研究したりと、海外で作品発表もしていた。 日本よりあるいは海外でYutaka Matsuzawaは知られており、Momaにも作品が収蔵されている。
瀧口修造が松澤作品をずっと追ってみていたという。

編集後記より、「長大かつ精緻な自筆年譜は、戦前、戦中、戦後を誠実に生きた一人の人間としての松沢宥の全貌をここに初めて明かすことになった。 資料もあらゆる角度からの照合に耐え得る精密なデータを提供していただいた。まず今日望み得る最高の決定版となった。 多方面からの松沢宥研究に大いに役立てて欲しいと願っている。」

本書には、今泉省彦「松澤宥について」、 松澤宥自筆年譜(1922-2222)、戦後日本の前衛美術画家の一人・菊畑茂久馬との対談、言語による詩作品年表、言語による美術作品年表、 美術作品年表、海外参加年表、執筆年表、参考文献目録が収録されている。

年譜の59歳の時の出来事に、赤瀬川原平著「本物そっくりの夢」からの引用で「プサイ人から手紙が来た。このプサイ人は全身がプサイ粒子で構成されているような松沢宥という人…」 とある。
この聞きなれない「プサイ」とは?「プサイ」は松澤作品のタイトルでよく目にする単語。
松澤によるとプサイとは「心、サイコロジーのP・S・Y」また、「ギリシャ文字の最後のオメガの前の、最後の一つ手前のプサイ」でもあるそうだ。詳しくは菊畑茂久馬との対談を読まれたい。

松澤が早稲田大学建築学科に在籍中に太平洋戦争が始まる。学生たちは大きな声ではいえなかったが「馬鹿なことをするものだ。日本は必ず負ける」と語り合っていたそうだ。松澤は理工学部建築科であったため徴兵延期で、 理科系軍需工場動員によって新潟県の日本曹達に動員され施設を作る方に使われ、中学生の頃の同級生は前線に送られて半数は亡くなる。そういう体験は大きく、卒業後に就職するが2年で退職して帰京する。特筆すべきは、郷里に戻ってから、創作活動をしながら夜間の数学教師を33年続けていたこと。 続けてきた理由を問われての答えに、松澤宥らしさが表れている。

表紙の裏に「この一枚の白き和紙の中に白き円を観じそをあわれ死に臨める白鳥としてここに白鳥の歌を聞けよ」10x10cm が貼付されています。