青塾とは

知住処。
芸術文化に親しみたい人のための時間であり空間です。
先生と生徒という固定的な関係ではなく、先生と生徒が入れ替わったりしながら気楽に学びます。 生徒のように参加していた人が、今度は自分が好きなこと・得意だったり詳しかったりすることでテーマを協議しながらクラスを作る。興味のある人を募って教えることで学びを深める。 青塾での時間が、より知的に楽しく丁寧に生きる手がかりになりますように。

*現在は、小規模・個別にご相談ベースで開催しています。こちらからどうぞ。




クラス紹介

◉「お茶」
お茶には、抹茶、煎茶、紅茶、チャイなど様々あります。例えば抹茶についていえば、お薄・お濃茶があり、小間、広間、立礼、盆手前、など場に適した楽しみ方があります。青塾では、身近に楽しめるお茶を考えて学び合えるようにしたいと思っています。

お茶の案内人:青山光雅

青山光雅

私はお茶を飲むのが好きだ。幼い頃から特に紅茶には目がなかった。紅茶ばかりか、煎茶、ほうじ茶、抹茶などいずれも好きだった。中学に入ったころからお茶の稽古に励んだ。「この子の点てるお茶は美味しい」 という先生の優しい言葉に励まされ、お茶の世界に浸りお茶会に参加したりもした。高校一年生の頃、大寄せでの薄茶を点てる役を与えられて初めて一般のお客さんにお茶を点てたこともあった。 今でも覚えているのだが、茶杓を棗に乗せようとして手が震えてしまったことがあった。緊張していたのだろう。緊張していたといえば別の茶席ではいざお点前という時に、水指の蓋を開けるとなんと 水が入っていないではないか。その時は慌てず悠然とまた蓋を閉め、何食わぬ顔で水指を水屋に運び入れ水を満たしてからまた持ち出すという離れ業をしたものだ。

煎茶も味わい深いお茶の1つだ。なんといっても思い出されるのは台湾での不思議な体験だ。台北で行われた国際陶芸展の開会式に呼ばれて会場の美術館へ行った。美術館の関係者 から今晩お茶でもと誘われたのだ。夜にお茶?と訝りつつも仏教系の美術館なのでお酒でもなかろうと宿舎で待機していた。 やがて係りの人に呼ばれて車に乗せられた。台北の5月の雨に濡れた街並みは夕暮れ時なのでさらに薄暗くなっていたように記憶している。車には全部で5、6人乗っただろうか、 ひたすら目的地に向かうのだがその目的地の場所について私には全く見当がつかなかった。2時間ほど走り山間に分け入るように車が進み、とある東屋風の建物の前で止まった。 実は内心不安があった。この時間でお茶を飲むというが晩飯はどうなるのだろうかと。いっそ、あとで皆を誘って食事に行こうかなどと考えていたところ、車から降りて その建物に案内された。そこは中国の茶館といった趣で明時代の建築様式か、落ち着いた室内だった。幾つかの食卓が並べられていて数人の先客がいたが皆物静かな様子だ。 どこからともなく胡弓の調べが聞こえる。熱帯に近い台北郊外とは思えないひんやりとした空気が窓から入り込み冷房の寒気とは違う心地よさがあった。

その茶館の亭主風の人とひとしきり挨拶をしてから食卓へと導かれた。やがて食卓に透明な液体が湯呑に入れられて運ばれた。同時に何か植物の種のようなものも添えられていた。 一同、その液体を飲み始めたので私もそれに倣って一口啜ってみた。味はしない。種を口に入れ、恐る恐る「これはなんでしょう」と聞いてみた。 すると「水と西瓜の種を乾燥させたものです」という答えになぜか納得してしまった。 続いてご飯、吸い物、野菜の煮物と果物がお膳に乗って各自の前に置かれた。両手を合わせ何やら経文を唱えてから皆で食べ始めた。薄味。淡白。少量。 だが、食べながら食材の味が一つ一つ分離して口に広がり、その一つ一つが混ざり合い微妙な調和の中で昇華していくのが感じられた。 これまで食べたどの料理よりも豊かな味わいになり、食べ終わる頃には満足感で心も胃袋も満たされていたのだ。

これだけのわずかな量で食事を楽しめ、しかも幸福な気持ちに包まれているのが不思議だった。やがて茶館の亭主が恭しく両手にお盆をかざして現れた。 何事かと注視していると我々の食卓の横にある小さな机にその盆を置き何やら所作をし始めたのだ。これは茶事だなとすぐに察した。皆にそれぞれ二つづつ の小さな磁器の茶碗が用意されている。茶入れから茶葉を取り出し急須へと移す。湯が注がれる。一時おいてからその磁器の茶碗のひとつに茶が注がれる。 茶碗は空の茶碗と対になって各自の前へと置かれる。茶の入った茶碗から空の茶碗に移し替え空になった茶碗を鼻腔に近づけて香りを聴く。 なんとも格調のある香りだ。そしてようやく茶を飲む。鼻腔に残る香りが茶の味をさらに引き出しているかのような感覚だ。美味い。 亭主が言う。「このお茶は自然栽培なので農薬は使っていません。だから一煎目から飲めるのですよ」と。目の前には美味しそうな茶菓子が並んでいるではないか。 早速ひとつ手に取ろうとすると、「お菓子は三煎目が過ぎてからですよ、青山さん」と注意されてしまった。まずお茶の香りと味を楽しみ、やがてお菓子という順番だとか。 こうして8、9煎のお茶を煎れてくれた。さすがに香りは薄れていくのだが、最後まで味は落ちなかった。

お茶を楽しみながら、同席の方々と仏教のこと、美術のこと、陶磁器のことなど話し合った。話題は尽きなく、ゆっくりとした時間が流れ、 その時間の流れに身を置き、流れを楽しんでいた。お茶でもと言われた意味がようやくわかった。これはお茶事のお誘いだったのだ。 少しの食事だったにも関わらず空腹感はなかった。いや豊かな満腹感さえあった。清々しい心持ちだった。気がつくと夜は三更に入り名残惜しくも茶館を後にした。

この話には後日談がある。あまりの感動に2ヶ月後に再訪した。やはり美術館の方を誘い一緒に行ってもらった。今度は屋外の藤棚のような下での茶事と相成った。ただ亭主が 「青山さんはもう知っているから今回は自分でお茶を煎れてください」という。亭主に任され私がお茶を皆に振る舞ったのだ。別の感慨があり、最後に亭主に求められ 芳名帳に名前を残し漢詩を添えた。

茶香高味亦清 茶香清気亦凛 茶香凛志亦潔 茶香潔夢亦美

(茶香り高く味また清 茶香り清く気また凛 茶香り凛としまた潔し 茶香り潔く夢また美し)



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